この文書は、1998〜1999年ごろに作成したものです。以来ほとんど加筆訂正をしていないため、内容が現状にそぐわなくなっている箇所もあります。何卒ご容赦くださいますようお願い申しあげます。
校正の対象となるテキストファイルを T-Time というテキストリーダーで開きます。ふつうのエディタやブラウザを使っても悪くはないんですが、あれこれフォントの設定を変えてみたところで、ディスプレイ上に表示されるのは結局はビットマップフォントですから、お世辞にも読みやすく表示されるとは言いがたいし、画数の多い漢字の細かな部分なんかも省略されてしまうので、やはり校正する上で少々不都合があります。やってできないことはありませんが、どうしても見落としをする確率が高くなってしまうし、作業の負担も大きい。ところが、T-Time を使うとそれらの問題があらかた解消されてしまうのであります。すばらしいですねー。
あまり宣伝めくのもあれですが、T-Time はほんとによくできた使いやすいソフトです。表示もきれいだし(アンチエイリアスという処理が施してあるため)、ややこしい漢字でも一点一画までちゃんと分かるし。T-Time は「ディスプレイ上でテキストを快適に読むためのソフト」ですが、以上のような理由から校正用ソフトとして使っている方も多くいらっしゃるようです。まあ、あまりこの話題をひっぱるのもなんですから、T-Time の詳細はボイジャーのサイトをご参照ください。
表示させるフォントのサイズはできるだけ大きめに設定します。ふつうに文章を読むことを考えると、1ページ(ディスプレイ上のことですから1ウインドウとでも呼べばよいでしょうか)におさまる文字数があまりにも少ないと読みにくいですよね。文章を読むときって、読んでいる箇所だけをじーっと見ているんじゃなくて、適当に視線や意識を分散しつつ、熟読するか適当に流し読みをするか等々の判断を下しているものです(意識的であれ無意識的であれ)。ですから、視界に入る文字数が少ないとその判断がしにくいのでどうも読みにくい、ということになります。しかし、校正はそういう読書とは異なります。ですから、
フォントのサイズを大きくする → 1ウインドウあたりの文字数が減る → 流し読みしにくい → 一字一字を目で追うのと近い状態になる
という理屈で、逆に校正には向いているのではないかと。
底本と T-Time で開いたテキストとを交互に睨みつつ一字一字たんねんに引き合わせをします。この、一字一字の引き合わせ校正というのが、カンタンなようでいて案外ムズカシイものなんです。
文字がどうにかこうにか読めるようになったばかりの頃を思い出してみましょう。それこそ一字一字を区切って「カ、ン、タ、ン、な、よ、う、で、い、て、……」なんて読み方をしていたはずです。しかし、じきに読むことに慣れ、語彙が増えてくると、まずそんな読み方はしなくなります。そういう読み方をするのは自分にとって不案内な文字や語句に遭遇したときぐらいでしょう。ふつうは、文節なりフレーズなりをひとまとまりのものとして認識しながら読み進めますよね。そういうふうに読まないと意味もとれませんから。
しかし、校正ではそれがクセモノなのであります。例えば「カンタンなようでいて」が「カンタンようでいて」になっていても、頭の中で無意識的に、抜けている「な」を補ってすらすらっと読み続けてしまったりするものなんです。まあ、あまりいい例ではないので「そんな脱字ぐらいすぐ気づくよ」と思われるかもしれませんが、この手の見落としってけっこうよくあるんですよ、実際。
発見した誤字脱字誤変換の類は、保存しておいたテキストをテキストエディタで開き(これがゲラとなります)、それに書き込みます(というか、入力します)。T-Time はエディタではないので、テキストの編集作業にはあまり適していません。そこで、適材適所ってことで T-Time とテキストエディタの分業態勢を組んでいるというわけです。T-Time の編集機能がもっと充実していればいいのに、という声もないことはありませんが、個人的にはこの分業態勢がけっこう気に入っています。ふたつ同時に起動しておいて、随時切り替えをすればいいだけですから、面倒だと思ったことはありません。
紙の上で校正をする場合は校正記号を使って赤ペン(疑問の箇所は青ペンなり鉛筆なり)で書き込みをするのですが、冒頭にも書いたようにデジタルな校正の方法は特に決まっていません。私は、校正記号の中で使えそうなものは応用して使い、あとは訂正箇所が目立ちやすいように目印をつけたり、必要ならばコメントをつけたりしています。
以下に例をあげてみます。ここでは、校正時に加えた記号や文字を赤字であらわしましたが、実際にはもちろんそんなことしてません。ごくふつうのテキストファイルでは、特定の文字に色をつけるなんてことはできませんから…。
例1:構成の方法 を 校正の方法 に直す場合
▲構成→校正▼の方法
例1では、→の前の文字を後ろの文字にかえる、という意味になります。
例2:カンタンようでいて を カンタンな… に直す場合
カンタン▲な▼ようでいて
例2の場合は、▲ ▼内の文字が抜けていますよ、ということを表わしています。
例3:誤字脱字字誤変換 を 誤字脱字誤変換 に直す場合
誤字脱字▲字→(トルツメ)▼誤変換
例1と表記方法は似ていますが、この場合は意味がちょっと違いますね。常識的に考えればお分かりのことと思いますが、→の前の文字を取り去る、ということ。このカタカナで表記した「トルツメ」というのは校正記号のひとつなので、それを応用したってところでしょうか。
なお、上の例3で「トルツメ」を丸カッコで囲んでいるのは、例1と区別するため――つまり、→の前の文字(列)を「トルツメ」という文字列に置きかえるのではありませんよ、「トルツメ」は校正記号として使っているんですよ、ということを表すためです。なにもそこまで厳密に区別しなくてもふつうは常識で判断できるよなあ、とは思うのですが、まあいちおう、念には念を入れて、ということで…。
引き合わせと訂正がひととおり済んだら、つぎは素読み校正。元となる原稿(とか底本とか赤字の入ったゲラとか)を見ずに、ふつうに読書をするのと同様にテキストを読みつつ、誤りがないかどうかをチェックしていきます。引き合わせの段階でどんなに注意深くチェックしたつもりでも、素読みをしていると案外見落としに気づいたりもします。素読みをしていて「あれ?」と思ったら、底本の該当箇所を参照のうえ、必要であればゲラに訂正を入れます。
素読みが終わったら最終的な見直しをします。その時と場合によりますが、引き合わせ・素読みをしているときに、誤植の傾向や留意点に気がついたりするので、まんべんなく目を通すのではなく、ポイントを絞ってチェックしていくことも必要です(これを観点読みといいます)。もちろん、傾向や留意点が複数あれば、観点読みを複数回繰り返します。人間の集中力なんてたかが知れてますから、一度にあれもこれも注意するなんてムリなんですよやっぱり。