チャン・マリーの香港熱病日誌〜2000年黄金週間

□───╋───┼───┼───┼───┼───□
    4.29

いざ、出発!の巻


はじまり


それは、香港フリークな人が聞くと誠に許しがたい、実に消極的な始まりだった。
黄金週間(自主的連続9日間!)突入初日の朝8時、それほど成田は混雑しておらず、スムーズにチェック・イン。それでもJL731便は、10時出発予定が40分遅れで離陸。今回ほど事前に調査をしなかった旅行もなく、機内で慌ただしくガイドブックをめくりまくる。しかし、離陸してもまだ自分が香港に向かっている事実を把握し切れず、チェックにも身が入らない。一体4泊5日も「香港」なぞで何をしたらいいのだろう……。
そもそもこの旅行は、棚からボタっと落ちてきた。パトロン氏(=母親)から海外旅行に誘われた3月あたま、すでにヨーロッパのツアーはいっぱいで、空きのあったのがたまたま香港だったというわけだ。とにかくここではないどこかに行ってゆっくりのんびりできれば良いと、まったくナメたことを思っていたものだ。

成田で離陸が遅れたので、結局香港に入国できたのは現地時間の午後3時ごろ。(時差は日本のマイナス1時間。)空港のトーマス・クックでひとまず1万円を香港ドルにエクスチェンジする(1HK$=約15円)。以後なんとなく、香港ドルは小生がジーンズのポケットに入れて一括管理することに。つまり、電車賃や飲食代など少額決済は小生が担い、日本円(つまり万札)やカードでの大きなお支払いは親が担うというスタイルがなぜか定着したのだ。でもね、ホントのこと言うと、香港ドルに変えるための万札もパトロン氏の財布から出てたの……。(←少額さえ担ってない。)

トランクを受け取ったら、まっすぐ空港内のJTBのカウンターに向かう。計4組10人前後のメンバーが集まったところで、専用バスでシェラトン!(パトロン氏ご指定……)に出発する。現地ガイドはミスター・ビクタ。(正確には「ビクター」なんだと思うけど、自分で自分のこと「ビクタさん」って言ってるから、まいっか。)香港のヤング・エグゼクティヴ風に暑い中スーツ&タイをきちんと着こなしているのが印象的だ。もち、日本語はペラペラ。携帯の番号を配って、用事があればかけるよう言ってくれる。結果、ホテルまでのバス道中いろいろと解説をしながら、ひっきりなしにかかってくる電話の応対に追われ、誠にお忙しそうなのだった。ガイドってどういうシステムで仕事こなしてるんだろう?

これから4泊する我らがお宿シェラトンは、ネイザン・ロードの南の付け根部分、つまり香港島を間近に望む便利な場所に位置する。この日ようやくシェラトンに着いたのは、もうすでに午後4時半を回るころだった。フロントで100ドル札を小銭に両替してもらうも、香港のコインは大きくて分厚くとても重量感がある。ポケットが破れそう。
ところで小生は直前まで、今回のツアーは往復の飛行機&ホテルがフィックスの他はすべてフリーだと思い込んでいたのだが、実は到着日の夕飯と2日目の観光はすでにパトロン氏がご契約済みだったのである。(スネかじりはブーイングもごく控えめ。)この日渡されたスケジュール表には、「金賞受賞料理入りメニューの夕食」とある。金賞ってなに???
すすむ >>>



<<<<<< 香港熱病日誌もくじ