かつて山之口貘は「お国は?」という問いかけから始まる詩を書いた。故郷の名をさらり一言では答えられない彼の戸惑いが、そこにはあった。琉球の歩んだ歴史はそれほどに複雑だった。だからその詩に共感できると安易には言えないのだけれど、自分の知っている故郷と人が抱くその地のイメージとのギャップから奇妙な心境に陥るというのはよくあることだと思う。日常として知っている世界と旅情として憧れる世界とは、決して同時に見える風景ではあり得ないのだから。それは、見方によって、若い貴婦人の後ろ姿にも魔法使いの老婆にも見えるあのだまし絵に似ている。しかしこの夏、小生はこれら2つを同時に見てやろうというささやかな実験を試みた。そして結果ここに書き留めるのは、その敗北の断片的記録である。フッフッフ。――小生が生まれてから18年間過ごした町、それは金沢――。
(これは特に人におすすめするために厳選したスポットではございませんのであしからず。)
とりあえずどこでもいいから電車に乗りたかった。見知らぬ地ではあるがまるで慣れ親しんだ景色でもあるようにさりげなく車窓を眺める振りでもして、かすかな旅情を感受しよう、というつもりから小生の小さな旅は始まる……。
まず金沢からのと鉄道への乗換駅である七尾(ななお)までの乗客は、おばちゃん、お年寄り、高校生未満の学生である。「旅」のしょっぱな、かつて小生が着ていた制服が目に飛び込んできて、ちょっと冷や汗。まいったなぁ、もう。とりあえず見なかったことにして、初めてこの地を訪れましたモードに切り替えたいのだが、ちょっと難しい。きっと、方言で話される周囲の会話が原因なんだと思う。つまり、なんの障壁もなくかつての日常、しかも鬱屈した10代の日常が侵入してきて、ワタクシを包み込んでしまう。そして、ストレンジャーかつコスモポリタンたらんとする小生の気分をあっさりとリセットしてしまうのだ。生まれ故郷とはコワイものですな。いや、だからこそ落ちつけるという反面も当然デカイのであり、ゆえに境界上に浮遊してしまうのであります。
JR七尾線七尾駅から乗り換えるのと鉄道は各駅停車、1両編成の単線で、キャンプに行く子どもの集団やお年寄りや学生たちで満員だ。尿意をもよおすも、トイレに行けない。なんてことだ、トイレの前を陣地にしている学生たちによって阻止されているのだ。以後目的地までひたすら我慢することに。(人の間をぬってトイレまで行くってのもヤだし、たとえスッキリしてもドアを開けたらすぐそばの人と目が合う、なんてことは避けたいでしょ?やっぱ。)教訓、手洗いは七尾までにすませるべし。乗客の大半である地元民はみな、だいたい2、3駅で降りていく。だから彼らにトイレは不要だし、長々と乗っかる旅人というのも見かけない。しかしここで恥をかき捨てられないという事実は、小生自身が半分地元民であることを図らずも証明してしまった。(それとも単に自意識過剰な思春期モードになってただけなのか?)また、乗客には小生と同じ年頃の人の姿は見当たらない。平日の昼間だということを考慮しても、20歳をすぎればみな車を手に入れるのだから当然か。いかん。なんだか車内のことに心を奪われすぎてしまった。ふと窓の外に目をやれば、日本海特有のネズミ色とそれに沿ってひしめく漁村……ここに至ってようやく非日常圏に突入だ。
無人駅を出ると海を背にして山の方に向かい、田んぼのなかをまっすぐ歩くと縄文館まではあっという間だ。駅からみえみえなので絶対に迷えない。天気は快晴。ギラつく太陽と稲の青、嗚呼これだ!求めていたのは。海から山までの距離は短くて、2キロくらいだろうか。こういうところで農業か漁業か林業かを営んで、たまの休みに金沢に出かけて「文化」を味わう、なんて生活をおくる自分を想像してみる。が、ふるさとが近すぎてうまく想像できない。悲しいかな、憧れに満ちた空想の楽しみではなく、どうしても、損得勘定が支配する日常の選択になってしまうのだ。
縄文館に着いてすぐ、まずはトイレへ直行。(トイレネタ、以上で完結。)受付で渡されたイヤフォンガイドでただ1つの展示室を見渡す。約6000年前から2000年前までの4000年間にわたる長期定住が見られた珍しい遺跡だとか。ここらの縄文人はイルカを大量に消費していたという。フム。発掘したイルカの骨や縄文土器の破片は、受付よこで実際に手で触ることができる。発掘は1985年から続けられており、その日も作業中であった。うーん。発掘仕事にたずさわるってのは有りかも。もちフィクションです。
真脇遺跡公園を通って行く。さっそくレストランで腹ごしらえとするが……高い。1番安かったビーフカレー1500円を注文するも、どうせだから2500円の海の幸御膳にしとけば良かったなぁとしきりに自責の念にかられる。ほかの席のグループも県内の人らしい。地元の人に利用されるのは悪くない。ということで良かった良かった。駐車場が整備されているので、車で訪れた人が圧倒的だったと思う。おそらく電車で来たのは小生1人ではなかったか。
露天風呂いくつかあり。胃腸の湯と肝臓の湯に入ったり出たり、寝そべったりして小1時間ほど我がもの顔でくつろぐ。ここにいるのもどうやら地元の人っぽい。良かった良かった。塀から頭を出してみれば、見渡せる田んぼ、発掘現場、集落、そして海。思考停止。
真脇遺跡がらみの建物はどれも新しくきれいだ。それは昔ながらの集落とはあまり調和していないという第1印象を抱くかもしれない。もしかしてここもふるさとソウセイ資金によってスポイルされているのではと瞬間的に危惧がよぎるかもしれない。でも、それはちがうと小生は思う。なぜならそこで働く人たちが一生懸命だからなんだ。うん。なんていう論理の飛躍もここではゆるしてもらおう。
かつて小生が6年間通っていた学校の近くに静かにたたずむ。初めてアンディ・ウォーホールを知ったのはここだったし(ちなみに初めてジャスパー・ジョーンズを知ったのは富山近代美術館)、日本画専攻だった友人の卒業制作もここに見に来た。ゆえに小生にとってはまったく敷居を感じさせない場所である。
ちょうどその日は特別展としてポーランドクラクフ国立博物館蔵浮世絵名品展が開催中であった。構図が斬新でおもしろいと言われるのはわかるけど、題材が江戸中心的だし色合いが無遠慮だから、浮世絵には特に心を引きつけられない。それにそこはかとなく西洋による東洋趣味的情緒の匂いをかぎつけてしまい、その二元論からどう抜け出してモノ自体に接すればいいのか困ってしまう。ああ。不幸だ。一通り練り歩いたあと、絵はがきを数枚購入し、2ヶ月ほど放置していた知人たちへの返事書きをすませる。(ちと面倒臭い……。)それが終わるとやおら常設展におもむき、古九谷を愛でる。気づいたらとうに3時間が経過している。長滞在に我ながら驚くも、待ち合わせの時間つぶしにはピッタリ。優雅だなぁ。
ちなみに、近郊のゲイジュツ・スペースとして注目すべきは他に、松任市の浅野−EX(076-277-8600)がある。ここは出来てまだ2、3年だったかと思う。和太鼓を作っている浅野楽器屋の隣にあって、オープニングには日比野克彦がイベントをやっているし、小生は前にナム・ジュン・パイク展に行ったことがあるから、現代アート中心の所なのかな。
現代アートと言えば、いま金沢市現代美術館なるものが建設計画中だということを知った。そのプレイベントとして八谷和彦がワークショップを開くというから、金沢も捨てたものではないですぞ。(別に誰も捨てちゃいないか。)「地方」とアート。この関係はいかに。
言わずと知れたわが国屈指の哲学者、西田幾多郎の生まれ故郷に建つ記念館。駅を出て目の前の大通りをまっすぐ進んで右折する。小さい道標がいくつかあるけどわかりづらい。訪問者は小生以外に地元の政治家「先生」ふうの2人の人物。入口に黒塗りのハイヤーが停まっていた。
哲学者の記念館を訪れるのは今回が初めてだ。著名人の記念館は数あれど、日本で哲学者の記念館というのは他にどこかあるのだろうか。もしあれば、ここと比較してみたいものだ。西田の記念館にワタクシは何を期待していたというのだろう。ここに来れば「経験」に肉薄できるとでも思っていたのか。何かが小生の純粋経験として感じられるとでも。しかし、半世紀以上も大切に保管されてきた遺物が語るのは西田の思考ではなく、それを飾る人たちの西田への思慕である。そしてその思慕なるものは、哲学とは無縁のものなのだ。
展示されているのは、手紙、生原稿、書、フロックコート、家具などである。敷地内には京都の書斎が移転されていて、館長氏が案内に立ってくれた。そこには蔵書の一部(文芸書)が収められた書棚と名画のコピーが、だいたい当時のままに据えられているのだという。それらの展示物は、西田が触れたという意味以上の価値があるわけではない。物としてはごく貧弱なものだ。書物以外に哲学者が死後に残す物とは、珍しくもない日常の残骸なのであった。ここに来て、哲学するとは物とはいっさい無関係な営みなのだという当然至極のことを身に沁みて知った気がした。
今にも朽ち果てんとする佇まいが10代のころから気に入っていて、落ちつける。コーヒー、紅茶には必ずゆで卵がついてくる。友人への贈り物につけるカードをしこしこと書いている小生の隣の席では、マスターの娘さんが姓名判断の営業中だ。大きな声でまる聞こえなのに、見てもらっている若い女性はあまり気にするようでもなく。ふと頭上を見上げれば、天井からクモの巣がぶらりと垂れ下がり、今にも落ちてきそうにゆらゆら揺らめいている。語りつがれるウワサによるとマスターは五木寛之のマブダチで、五木は芥川賞受賞の報をここで受け取ったとか。
おすすめは数種類ある中国茶。聞いた話によれば、マスターは中国茶通かつワイン通らしく、地元メディアでも紹介されているという。プーアル茶400円をいただく。ここで待ち合わせの間に、この突発企画の案がふと浮かぶ。有り難う、バッタ君。
深夜営業なので、飲み会のあとで立ち寄るのに便利らしい。小生が訪れたのは夜の7時過ぎ。年輩の男が先に来て、あとから若作りの女がやって来る。そして連れだってネオンの街へと消えていく。他の席では着飾った女たちがはしゃぐ。そうか、これから夜のお時間の始まりなのですね。薄暗い店内を見渡せば、そこはもう井上陽水の世界(?)。
武蔵が辻にある九谷焼の焼き物屋、鏑木の親戚の店。ゆえに出される器はすべて趣味のよろしい九谷焼で、大変けっこうな心地にひたれる。オリジナルコース4000円をいただく。御母様、誠にごちそうさまでございました。
県立美術館や兼六園の近く。石引(いしびき)という町の名の由来はその昔、金沢城建立の折り、石垣用の石を山から切り出して引きづって来た道だったから。この建物はもと球場で、今もその円形をとどめている。
今回唯一ガイドブックを見てみつけた場所。もと材木屋を改造したというだけあって外見はおもむきのある民家だ。吉祥寺(東京)にありそうな小生好みの雰囲気がただよう。豚バラ煮込みカレー820円をいただく。注文する際まちがって「牛バラ!」と叫んだら、厨房から「豚バラ!」とけんもほろろに訂正されて赤面。うちに帰って報告したら、なんと親の同級生の生家だったことが判明した。ウーム。ここでは世界はとても狭い。
どこにでもあるチェーン店の飲み屋。地元の友人たちが車で集合する。車だから一滴も呑まないというヤツはいない。なんてったって飲み屋に駐車場が完備してるんですもの。途中、隣の席に、教員をしている友人の教え子がやって来た。ああ、またしても。ここでは限りなく世界が狭いのだ。友だちのガキンチョ3匹に交ぜてもらって、ぎゃーぎゃーと騒ぐ。いい加減うるさいということで友人宅へ退散。アルコール臭をただよわせて、その家の赤児にすりすりする。その日集まったのは、中学から6年間一緒だった6人だ。ここではいつでも自分をすんなりと受け入れてもらえる、というのは小生の勝手な思い込みだろうか。と同時に、ここでは自分のすべてはわかってもらえない、というのは小生の早すぎる結論なのだろうか。おそらく言えるのは、この2つの感情に、どちらか一方が勝利をおさめるという解決がなされる日は来ないということだ。馴染みでありかつストレンジャーであるという渾然一体となった状態をとりあえず引き受けて、そしてその境界上をさすらうという選択肢しか、もうない。
子どもを連れてきたヤツや明日仕事のあるヤツはすでに帰った。すっかりなごんでまどろみの中にある小生の上には3歳児がのっかって、眠りの世界に陥らんとする小生にポケモンのキャラクターを伝授しようと必死だ。最後の力を振り絞ってその家の弟氏に送ってもらうも、なぜかその車の内装を知らぬうちに破壊しているワタクシがいた……。(どうか、ご勘弁。)
ふるさとは、遠くにありて想うもの――そういったのは同郷の文筆家、室生犀生であった。この言葉はいかに解するべきなのだろう。前後の文脈までは知らないし、特に今から調べようとも思わない。作者の意図など考慮せず、勝手に思い巡らしてみるのである。
ありうる1つの解釈は、思い出を美しいままに保存するための最低条件が簡潔に言い表されているというものだろう。しかしこの解釈に見られる態度とは、人とそのふるさととの関係において果たして幸福なのだろうか。果たして最善なのだろうか。小生はこの解釈には共感しない。ふるさととは心身ともに行きつ戻りつする場所だからだ。しかし、戻ったところで昔とは決して同じではありえない。見える風景はすでに変わってしまっている。いや常に変わっていくものなのだ。小生の目に映る、変わりゆくふるさと、それがもたらす違和感。そしてその齟齬を軌道修正することはもう限りなく不可能に近いという予感。そう、これがまさしく、遠くにあって想うということの真意なのだと解したい。
旅情と日常の二兎を追ったこの試みも、結局はふるさとという軽薄かつ深遠なる場所へと収斂され溶解してしまったようだ。つぎに訪れるとき、金沢はいったいどのような風景を小生に見せてくれるだろうか。